高円寺にはアゴの長い女が多い気がする

高円寺のピンサロ通りを過ぎて、すぐ右に曲がると、てん助という天ぷら屋さんがある。

いつも行列ができているのだけど、僕はその天ぷら屋さんには目もくれず、同じ並びを奥へと進んでいく。目当てはラーメン。

塩とんこつラーメン。

いろんな創作ラーメンがあって、毎回メニューとにらめっこしてはいるが、気がつくといつも塩とんこつラーメンを注文してしまう。

高円寺という街に来るとき、たぶん僕は病んでいる。

いや、病んでいるという言葉とはちょっと違う。何か体が重いけど、でも何かが足りない状態。潤滑油の切れたロボットみたいに。外からはわからない。でも、歩くたびにギギギ、ギギギと僕にしか聞こえない悲鳴があがる。

何かが足りなくて、何かを欲している。

大学生の頃、特にやることもなくよく高円寺をふらふらと漂っていた。水族館のクラゲのような美しいものではなく、誰かが捨て損ねて風に舞い上がるコンビニのレジ袋のように。

だからだろうか。当時付き合っていた彼女とは、不思議と高円寺には行かなかった。

ゴミ箱にさえ収まらなかったレジ袋のような醜い自分を好きな子には見せたくなかった、、、みたいなカッコ良いのかカッコ悪いのかよくわからない理由ではなくて、たぶん高円寺という街を誰かと一緒にいたくなかったのだと思う。

ひとりで、何も考えずに、特に目的もなく、まわりから見ればたんなるゴミのように、誰も気に留めない自分でいることが、すごく心地良かった。

ふらふらと街を徘徊し、喫茶店に入り、本屋に入り、パチンコで負けて高いトイレ代だななんてつぶやき、また本屋に入り、買いもしないのに古着屋を覗いてから、また喫茶店に入り、最後にラーメン屋さんへ。

何もしていない一日に見えて、僕の中のあらゆる雑念を高円寺という街に吐き出していく作業。

それが好きだった。

これから僕はどうなっていくのか。僕は何をすべきなのか。僕は何がしたいのか。ずっと考えなきゃいけないことからずっと逃げてきて、それでも考えなきゃいけなくなって。もう逃げられない時に、決まって高円寺を漂っていた。

いつまでもこのままでいたいという気持ちと、このままじゃいけないという気持ち。

希望でも絶望でもない。

「無望」とでもいうべき、僕自身さえわけのわからない感情。それを高円寺はいつも何も言わずに受け止めてくれていた。

あれから何年も経って、僕もようやく普通の職を得て、普通の生活を得て、普通の人生を生きているのだけれど、それでもやっぱりふらりと高円寺に行きたくなることがある。

塩とんこつラーメンを食べていると、カウンターの左に座る、あごの長い女がこちらを見ていた。

以前会ったことがあったのだろうか。よく通った喫茶店のアルバイトか、水タバコ屋にいた常連か、何度か通ったピンサロ嬢か。高円寺にはあごの長い女が多い気がする。誰もが同じ顔に見える。だからよく覚えていない。

こちらを見ている女を見返すと、女はただ僕の横に流れているテレビを見ているだけだった。モテもしないくせに僕はホッとしてしまう。高円寺で女はいらない。クソをしている時と同じ。ひとりでいい。ひとりがいい。僕は高円寺という街で排泄しているのだ。

僕の中にたまった得体の知れない感情を排泄していて、同時に何かを吸収する。

その1つが塩とんこつラーメンで、ラーメンを食べ終えると満足して僕は高円寺を離れた。

それなのに高円寺から出た途端、急に昔付き合っていた彼女のことを思い出した。

一度くらい、一緒にラーメンを食べに高円寺に来たらよかったかもしれない。

僕のダメな部分もちゃんと見せていれば。いや、実際ダメな部分ばかり見せていたのだけど、もっと本当の僕を、そして本当の彼女を、ちゃんと考えることができていたら。

今さらどうにもならないことが頭をよぎったせいで、もう一度高円寺へと引き返してみる。あの時に戻れたら、もう一度やり直せたら、僕は彼女と今でも続いていたのだろうか。

駅の上にあるデニーズへ。

「いらっしゃいませ、デニーズへようこそ」

アゴの長い女の店員だった。

喫煙席で、とだけつぶやく。

登録したまま一度も使ったことのなかったフェイスブックを開いてみる。彼女の名前を探してみる。違う名字になっていた彼女のプロフィール写真は、彼女にそっくりの可愛らしい女の子を抱いている少し大人になった彼女が写っていた。

これでよかったんだ。

いつか彼女に言われた「大丈夫。なんでもいいから、好きなことをやりなよ」という言葉は今でも僕の中ので時折繰り返される。

その言葉がすごく嬉しくて、でも同時にすごく厳しくて。僕は結局、こうしてたまに高円寺に逃げてきてしまう。

僕はあの頃から何も変わっていないんだ。

でも、やっぱりもうそろそろ変わらなきゃいけない。高円寺という街に逃げてはいけない。

今日で高円寺という街にお別れする。

そう決めた僕はお腹はいっぱいだったのに、もう一度ラーメン屋さんへ向かった。

ピンサロ通りを通り過ぎて、右へ曲がる。狭い通路を奥へと進んでいく。

塩とんこつラーメン。

2度目の注文をする僕のことを店主は不思議そうに見ていた。

隣にはシドアンドナンシーのようなカップルが無言でラーメンをすすっている。横目で女の顔を覗いてみる。アゴは長くなかった。

もしもまた高円寺に来ることがあれば、その時は、ひとりじゃなく、恋人と一緒にこの塩とんこつラーメンを食べよう。

それまではお別れだ。

最後になるかもしれない二杯目の塩とんこつラーメンの味は僕の涙が少しだけ溢れたからだろうか、いつもよりしょっぱく感じたのだけど、僕は最後の一滴までスープを飲み干した。

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