ファミコンのスタート画面を見ているだけで心が躍ったあの感情と、その対極にあるもの

今の自分の感情をうまく言い表せないと思って、つらい、物足りない、切ない、無気力、、、あれこれとマイナスの言葉を書き連ねてみたのだけど、どれもしっくりこない。

こんなことやってもむなしいだけだなと思ったときに気がついた。

虚しい。

まさに今の僕を表す「虚」という1文字。

なんだか虎みたいに、一応はなんとか踏ん張って立ってるつもりだけど、決して現状から動きそうもないくらい、地面にペタっと張り付いたままの「虚」という漢字は、ここ何年かの僕とそっくりに見えた。

そうだ、僕は虚しいんだ。

悲しいわけでもない。つらいわけでもない。ただ、何をすべきかわからない。このままじゃいけないと思うのだけど、それは大学を留年したあの頃のとは違う。べつに世間的に見ればこのままでいいのかもしれない。

お金に困ったり、仕事がなかったり、彼女がいなかったりする時の、このままじゃいけないとはまったくの別物。

それなりの仕事でそれなりのお金をもらっているし、好きな女と結婚もして、マンションも中古だけど買った。年に何回かは海外旅行に行く。決して大金持ちではないけど、たぶん恵まれているほうだと思う。

でも、時々、僕の中の「虚しい」という感情が爆発する。

このままじゃいけない。何かが違う。何かが足りない。

会社帰り、JR中野駅で降りて、ふらっとラーメン屋に入った以外は特に何をすることもなく、とりあえず高円寺を目指して歩いた。

コンビニはいつからあんなにまぶしくなくなったんだろう。昔はもう少しだけ明るかった気がする。ツタヤもインド料理屋も個室ビデオの看板も。それはきっと僕の目が、まぶしさを感じないくらい、どんよりとした黒さに覆われていて、それはよく見ると黒ではなく無で、僕の横を通り過ぎる総武線でさえ、見ていてもおもちゃのプラレールが通り過ぎただけのような無感動に包まれてしまう。

虚。

何を贅沢なことを言ってる。誰かにいわれそうだし、実際に自分でそう思う。

虚。

だけど、どうしてもそう感じる。良くもないし悪くもない。ただただ、ひたすらに自分の中につまっているものを表すなら虚なのだ。(つまりは何にもつまっていないのだけど)

高円寺駅の北口。タバコの煙を見ていると、こいつらはいったいどこまでいくのだろうかと疑問に思った。

風に揺られ、高く高く空に向かって、行き着くところはあるのだろうか。

と同時に、タバコの灰を見ていると、几帳面な僕のおかげか、灰皿にきちんと収まるこいつらは僕に似ていると思った。

どっちが幸せなんてわからない。

ただ、自分とは違うものに憧れているだけなのかもしれない。それはよく分かっている。

でも、どうしても虚しさに包まれた今の僕は、泣くことさえできない今の僕は、どこかに飛び立つことさえできない今の僕は、違う自分に憧れている。

あの頃のみたいに。もうあの頃がどの頃なのかはすっかり忘れてしまったけど、そう、春から夏に変わる時に感じる、なんとも言えないはじまりの感情に浮かれていた時のような。

それはファミコンのスタート画面みたいに、ただ見ているだけで、心が躍りだすのに似ている。

あんな感覚が訪れるにはどうしたらいいのか。

僕はまだわからないのだけど、今こうして頭の中を整理できた中で、虚という字の七の部分が7.5くらいまでは増えた気がして(これから10をめざすのかはよくわからない)、少しだけ楽になったから今日はもう寝よう。

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