今、日本には「水戸黄門」のようなわかりやすい悪が出てくるエンタメが足りない

今、日本には「水戸黄門」のようなわかりやすい悪が出てくるエンタメが足りない

 

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長谷川豊氏の一連の騒動で思ったこと。

担当番組を降板になり、本人が謝罪もして、なんとなく「これにて一件落着!」みたいになってるけど、本当にこれでいいのか。

多くの人にとっては、今回の騒動は単なるエンターテイメントだったんじゃないのか?

http://blog.livedoor.jp/hasegawa_yutaka/archives/48598715.html

彼が番組降板、謝罪へと向かう流れはただの「水戸黄門」だったと感じた。

勧善懲悪。

特にこの「懲悪」の部分、悪を懲らしめたいという欲求は誰にだってある。

悪代官が出てきて、貧しい親子から年貢を取り立て、さらに難癖をつけて美しい娘まで奪おうとする。

誰の目から見ても「悪」

けれど、最終的には黄門さまたちにボコボコにされて、めでたしめでたし。

この「悪」という存在が今、日本には足りていない

正義の国アメリカでは、ヒーローが必要で、そのために悪が存在がする。

でも、きっと日本には悪が必要で、そのために黄門様のような人が存在する。

別に水戸黄門である必要はなくて、わかりやすいカタチで悪代官が懲らしめられることが重要。

懲らしめる側なんてどうでもいい。遠山の金さんでも、銭形平次でも、誰だって一緒だ。

権威がある人に怒られたほうがより悪が際立つだけ。別に雷に打たれたり、肥溜めに落ちたり、東京地検に家宅捜査されたり、懲らしめられ方はなんだっていい。

私たちが見たいのは、あくまで悪代官が懲らしめられる姿であって、ヒーローではない。

わかりやすい「悪」を叩くことが、おとなしい日本人にとっての快感なのだ。

大学を辞めて起業家になろうとする若者だって同じ。

http://www.ikedahayato.com/20161006/66267194.html

いろいろと意見はあるだろうけど、何も考えずに起業しようとする姿は「わかりやすいバカ」であり、つまりは「悪」だ。

悪は懲らしめられるべきだし、それを痛快に思う気持ちもわかる。

問題なのはそれがエンターテイメントではなく、生身の人間ということ

長谷川氏も大学を辞めて起業家になる若者も、自らが「悪」だとはおもっていないだろうし、多くの人がそう思っているだけで、本当は「悪」ではないかもしれない。

彼らを「悪代官」として、叩くことがはたして正しいのだろうか。

 

 

だからこそ今、「水戸黄門」のようなエンターテイメントが必要だと思う。

わかりやすい「悪」が出てくる、わかりやすい物語。

最近のドラマはリアリティを追求しすぎて、「悪」側の苦悩や葛藤を描きすぎている。悪は悪でいい。そして、コテンパンにやられればいい。

エンターテイメントだからこそ、それができるし、エンターテイメントになら、それを求めていいと思う。

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