効率化、効率化っていうけど
日本人の働きすぎ問題が見直されようとしていますが、その際に必ず耳にするのが「もっと仕事を効率化しよう」「ムダを見直して生産性を上げよう」という言葉。
たしかに企業や国レベルでの考えとして、これまで長時間労働によって保ってきたものを維持するには効率化がマストというのはわかります。
でも、個人で考えたとき、そんなにすぐに変えられるものなのかなー?
私のようなダラダラと仕事してきたダメなほうの部類の人間からすると、そんなにすぐに効率化できるくらいならとっくにやっとるわい!とも思うのです。(そんなこんなもあって、私は自分のペースでフリーライターなんぞという仕事についております)
労働時間を減らす!パフォーマンスも減らす!
で、そもそもの話なんですが、今までの仕事のパフォーマンスを維持することって本当に必要なのかが疑問なんですよね。
これまで10というパフォーマンスを出すために10時間かけていたものを「無駄を減らせば8時間でできるよね?」というのがみんなが漠然とイメージしている効率化かと思いますが、はたして今後も10を目指すことは正しいのか。
労働時間が減るなら8時間で出すパフォーマンスは8でいいだろうし、いやいや働きすぎという意味での本質的な見直しを考えるなら、単純な労働時間の削減だけじゃなく、パフォーマンスも減すべきではないか。
余裕を持って8時間で6のパフォーマンスを出すようにする。
こんなことは企業や国、そして仕事ができる人たちは言いませんし、意識の高い人からは「何をバカなことを言ってるんだ」と失笑されるでしょう。
「労働時間を減らす!パフォーマンスも減らす!」
これだけ聞くと、なんてワガママなやつなんだ!と誰もが思うでしょう。だけど、それは今まで通りが正しいという前提があるからで、
「労働時間をマトモにする!パフォーマンスもマトモにする!」
というのも内容的には同じこと。
仕事に「ゆとり」を!ゆとりは悪い言葉じゃなかったはず
行き過ぎた労働時間が改善されるのは賛成ですし、その結果として効率化を唱えるのは当たり前なのですが、個人レベルで考えた場合、時間が減った中ですぐに効率化体制に順応できない人もたくさん出てくるんじゃないかな?
野球に例えるなら「年間30試合に登板しろ!20勝を目指せ」と言ってたものを「ちょっとコキ使いすぎたから25試合でいいや。でも、勝ち数が減るとマズイからこれまで通り20勝を目指せ!」というのと同じに聞こえるんだよなー。
酷な話です。
もっと仕事にゆとりを持つことが、根本的な改善なのではないでしょうか。(ゆとりという言葉はいつの間にか悪いイメージが付いちゃいましたけど、本来なら良い意味ですよね)
ゆとりある仕事をこなして、その分プライベートを充実させたり、恋人や友達と遊んだり、家族サービスしたり……そっちのほうが巡り巡って経済にも良い影響を与える気がするけど。どーなんでしょ。